EXHIBIT COMPOSITION|展示の構成
展示I. [プロローグ] 生い立ちから倉敷絹織入社まで
そして大原總一郎の技師になるまでの変遷を様々な資料で読み解く
○主要な展示・時代背景
・生い立ちから京都大学入学まで
・若き日のスケッチブック
・京都大学の師弟交友関係 – 武田五一、森田慶一、西山夘三
・停学処分と遠藤新の下での修行
・ヒルバーサムの建築家デュドックへの憧れ – 卒業設計:トーキースタジオ
・倉敷のデュドックを目指して帰郷 – 守屋正を通して大原總一郎との出会い
・薬師寺主計との出会い – 大原孫三郎と薬師寺主計
・倉敷レイヨン連絡月報執筆原稿
・1953 年 「MY KURASHIKI」のノート 他
展示II. クラレ営繕部長時代を中心に工業化への取組み
○重点展示– 西条栄光教会(1951 年)、倉敷レイヨン岡山第二工場(1960 年)、 プレファブ住宅の開発、クラレ高槻アパート及び独身寮(1964 年)
〇木造モダニズム建築への取組み
– 現代の保存再生活動、木造軸組模型
〇大学で構造を学んだ浦辺
– 初期作品のシェル構造へのこだわり
〇戦中の木造飛行機工場の残余資材の活用検討
– プレファブ住宅の開発へ
○数多くの社宅建築の実績
– 倉敷紡績の女子寮から学んだこと
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展示III. 『黒と白』の時代 大原總一郎と共に二人三脚での倉敷のまちづくり
○重要展示– 日本工芸館(1960 年)、大原美術館分館(1961 年)、愛染橋病院看護婦寮(1961 年)・愛染橋保育園(1962 年)、倉敷国際ホテル(1963 年)、 倉敷ユースホステル(1965 年)、クラレ中央研究所(1968 年)、倉敷公民館(1969 年)、東京造形大学(1966 年)、浜幸ビル(1966 年)、両備西大寺バスターミナル(1966 年)、西条市立郷土博物館東予民芸館 (1967 年)、東京女子大学研究本館(1967 年)
〇KM の確立についての展示(日本工芸館のパネル)
〇大原美術館分館ではエスキースの変遷
〇倉敷国際ホテルではアーツアンドクラフトの特徴を感じさせる初期のスケッチを展示
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展示IV. 『黒と白』の時代 倉敷市民会館からアイビースクエアまで
○重要展示– 倉敷市民会館(1972 年)、倉敷アイビースクエア(1974 年) 一丁シャンゼリゼ計画(1969 年)、西鉄グランドホテル(1969 年)、千里阪急ホテルI期・II期、紀伊風土記の丘(1971 年) 黒住教太陽の神殿(1974 年)
○同時期の重要な出来事
倉敷旧市街地1km四方櫓の図面 – 大原構想の実現
万博立体音楽堂案 – 大原總一郎の音楽への強い思い
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展示IV. 倉敷市庁舎、倉敷中央病院など『白と赤』の時代
○重要展示– 倉敷市庁舎(1980 年)、倉敷中央病院I期(1975 年)、II期(1980 年) III期(1981 年)、倉敷駅前再開発西ビル東ビル(1982 年)
○倉敷市庁舎案四方櫓のスケッチ
○大阪市庁舎案 アンビルド
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展示V. 横浜の仕事
○重要展示– 大佛次郎記念館(1978 年)、横浜開港資料館(1981 年) 神奈川近代文学館(1984 年)、六高記念館(1980 年)
成瀬記念館(1984 年)、三州足助屋敷(1980 年)
○六高時代の油絵
○浦上玉堂美術館案 – スケッチ
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