浦辺は創業にあたって、施主・建築家・施工者3者の関係を「三笑主義」と命名し、これを実現するのが建築家の責任であるとしました。これは三者が高笑いをする状態を示すものではなく、厳しい請負契約による事業においても、お互いが「自ら泣かない」「他者を泣かせない」覚悟で仕事に臨むことを意味します。建築家が利己的創作意欲によって、施主を泣かすようなことがあってはならないと、特に戒めています。
「泥脚佩雲」
浦辺(1909-1991)は、京大時代、西山夕三らと共にマルキシズムに傾倒し、半年間の停学処分をうけ、その間、遠藤新(1889-1951)の教えを受ける。後に(1949年2月27日)、遠藤が倉敷を訪れた時、“建築家は現実という泥沼に脚を突っ込んで立っている。然し、頭の天辺には理想の雲を佩びで居る存在だ”という言葉を送られ、その席で一筆を所望した。永く、浦辺家にその書が飾られていた。
私たち建築家という職能を施主の僕としてでなく、建築という事業を行うに当たって、不可欠な社会システムを担う存在と位置づけています。目まぐるしく変化する現代社会においても、建築家の職能が本当に必要とされるものになるために、この「三笑主義」はその要締となる思想だと考えています。