History

倉敷街づくりの歴史




大原總一郎(当時、倉敷レイヨンの社長であると共に、倉敷建築研究所、創業時の初代会長でもあった)はゲマインシャフトによる街づくり、すなわち、経済至上主義ではなく、経済・文化・道徳が完全に調和した街づくりによって、倉敷を地方のモデル都市にと構想しました。
浦辺鎮太郎はその思想に感銘し、大原構想の実現に向けて『ゲマインシャフトを形にする』ことを設計の根本理念とし、倉敷の街に多くの作品を残しました。

第二世代の松村慶三は事務所継承に当たって、創業者浦辺の意志を継ぎ、浦辺建築事務所を浦辺設計と改名すると共に、URABESEKKEI = URBAN DESIGN & ARCHITECTURE FOR BEAUTIFUL ENVIRONMENT と英文字表記に事業の目的を明確にしました。また、『ゲマインシャフトを形にする』ための建築作法を実践し、多くの地方都市で場所性を最重視した作品の数々を残してきました。

今、移行期を迎える第三世代西村清是においては、それまでの設計理念を継承し、倉敷における浦辺作品の良好な維持・拡大を図ると共に、「美しい環境を守り育てる」「次世代を育む環境を創造する」をテーマに数多くのプロジェクトに取り組むことで、現代社会に必要とされる職能集団を目指しています。