urban development of kurashiki倉敷の街づくり
大原總一郎(当時、倉敷レイヨンの社長であると共に、倉敷建築研究所、創業時の初代会長でもあった)はゲマインシャフトによる街づくり、すなわち、経済至上主義ではなく、経済・文化・道徳が完全に調和した街づくりによって、倉敷を地方のモデル都市にと構想しました。
浦辺鎮太郎はその思想に感銘し、大原構想の実現に向けて『ゲマインシャフトを形にする』ことを設計の根本理念とし、倉敷の街に多くの作品を残しました。
地図には、そのプロジェクトをプロットして掲載しています。
街並みは時代と共に変化していきますが、街と融合した建築物として今も活躍していることがわかるように、日々変わりゆくgooglemapにプロットしています。
「浦辺鎮太郎の街づくりスケッチ」部分