our back born創業者の思想
-
1 ゲマインシャフトを形にする浦辺設計の初代会長でもあった大原總一郎は倉敷の1km四方の旧市街地をヨーロッパの美しい城跡郭都市にたとえ、「倉敷を日本のローテンブルグにしたい」との構想を持ちました。それはゲゼルシャフト=利益至上主義がもたらすグローバルな都市間競争への警鐘であると共に、ゲマインシャフト的な市民主体の地方都市こそ日本の未来に必要だとの思想に基づくものです。浦辺は大原が亡くなった後も「大原構想」の実現をめざして、倉敷のまちづくりに生涯を捧げました。浦辺はこの大原構想に臨む設計を「ゲマインシャフトを形にする」と称しました。
「ゲマインシャフトを形にする」設計とは何かというと、建築設計は単なる経営行為(設計=サービスへの対価=お金のやり取り)として行われるのではなく、経済、文化、道徳の調和を実現する設計だということです。また、その結果としての建築は一つ一つがその施主、立地、風土、コミュニティを融合する唯一無二のものであるという点です。 -
2 新旧調和浦辺は日本の街並は木造建築で造られたが故に弱いものであり、ある町や地区に新しい建築を設計する時、周辺環境との調和を実現する為には、そもそもその新しい建築は周辺の好ましい何か古くから有る良いものを内在しなければならないとしました。
このことは、人々が住んだり訪れたりして、ほっとする何かを感じさせる街並が形成されるときに、建築家が存在する以前から常に守られて来たことだと考えます。私たちはこのような意味での「新旧調和」を建築家が独自の手腕を振るう前のルール、すなわち作法と呼び、この作法を前提に仕事をしています。
私たちは、新旧調和の実践に先立ち、土地の歴史風土、コミュニティを激しく学ぶことから始めます。建築の場所の強みと弱点の理解なくして、新旧調和は実現できないからです。このような建築の積み重ねによって、個性的でキラリと光る地域社会が実現するのです。 -
3 三笑主義浦辺は創業にあたって、施主・建築家・施工者3者の関係を「三笑主義」と命名し、これを実現するのが建築家の責任であるとしました。これは三者が高笑いをする状態を求めるのではなく、厳しい請負契約による事業においても、お互いが「自ら泣かない」「他者を泣かせない」覚悟で仕事に臨むことを意味します。建築家が利己的創作意欲によって、施主を泣かすようなことがあってはならないと、特に戒めています。
三笑主義